遥かなる君の声
V 34

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          終 章



 時折 思い出したように吹き来る風に撫でられて、それは広々とした麦畑が大きなうねりの畝を作っては、その金色の海原を渡ってゆけと送り出し、ゆったりゆったり波立たせている。麦そのものが収穫直前の黄金色をしているせいだけでなく、そろそろ間近い黄昏の予兆もあっての金の色。さわさわ・ざざざっと鳴り響く乾いた音は、だが、大地の恵みの誇らしげな謳歌にも聞こえて。傍らを通りがかっていた旅人の足を、ふと止めさせたるほど。見上げれば高い高い空は澄んで青く、あの小さな皇子を最初に迎えに来たときを彷彿とさせもした。
「…だから、もうちょっと待っててね?」
 軽やかな笑みを含んだ柔らかい声がして、まだ間際まで辿り着いてもない二人が“くすす”と申し合わせたように苦笑を洩らす。あれから半年は経っているというのに、相変わらずの無邪気さが忍ばれる声だったからで、それが不意に、
「…え? あ、どうしたの? カメちゃん。」
 怪訝そうな色合いへと塗り変わり、小さな家の裏手から、がさごそという気配がこちらへ飛んで来るのを、その声の主もまた追いかけて来て。
「わふッvv」
「おお、元気そうだね、カメちゃんてば。」
 最後の一歩は大きなジャンプ。ふかふかつやつやな毛並みも愛らしい、パピヨンだろうか小型犬が、浅い色合いの導師服を来たお兄さんの懐ろへと飛び込めば。可愛らしいお家の角をようよう曲がって来たお声の主が、そんな彼らを見て“あっ”とそのお口を丸く開いた。
「あ…桜庭さんっっ!」
 どこぞの軍の制服を思わせるよな、詰襟にボタンや装飾も仰々しい。礼式に則ったそれはかっちりとした型の導師服を、こうまで雅に着こなせる人は滅多にいなかろう、変わりない美麗な姿と優雅な所作と。亜麻色の髪も柔らかそうな、飛びっきりの美丈夫の白魔導師の桜庭と、それから、
「お久し振り、セナくん。」
 かっくりこと小首を傾げて見せつつ、その上背のある身をちょこっと脇へと譲れば、背後に立ってたもう一人の姿もあらわになって、
「よお。」
 こちらさんも相変わらずの、金髪痩躯をきりりと引き締める黒づくめ。マントの赤さえ、彼がまとうと毒々しく見えなくもなく。桜庭さんのような恰好をなさればそれは嫣然とお美しいに違いないのに、勿体ないことをといつぞや呟いたところ、その桜庭から、
『だからこのままでいてほしいんじゃない』
 そんな綺麗な妖一だってことに、他の奴らが気づいたらどーすんのと。大仰にも唇の前へ指を立てての“しーっ”とわざわざ制されたことがあったほど。そんな相性も相変わらずなのかなとの苦笑をしつつ、
「蛭魔さんもっ。お久し振りですっ。」
 ぱぁっと、そこから照る陽射しがあるかのように、屈託なくも明るく笑った小さな少年へ。お客様への一通りのご挨拶を済ませたらしきパピヨンちゃんが向き直り、盛大にお尻尾を振りつつ“わふわふっ”と鳴いて愛想を振る。
「ここではワンコの姿なの? この子。」
 確かセナが一番に気に入ってたのは、ドウナガリクオオトカゲの姿じゃなかったっけと、何とか覚えていたお名前を口に上らせれば。えへへぇと恥ずかしそうに笑った少年、
「それが。この村にも若い世代の人が増えたもんだから、あんまり突飛な姿のまま置いとけなくて。」
 若い奥様がたが悲鳴を上げて怖がるようなので、あんまりあの姿でおいとくのも…と。小さな肩をすくめて答える彼へ、
「若い世代のって、大半はお前の護衛について来た連中じゃなかったか?」
 そこいらの事情をさすがに覚えていた蛭魔が訊き返し。家来とまでは言わないものの、事情は通ってる陣営だろうに、そんな面子を相手に何を遠慮しておるかと、相も変わらぬ及び腰を察したか、どこか呆れたような声を出したお師様。さすがセナに関しては、事情から性分まで、変わらずのよくよく精通しておいでだったけれど、
「ええ。でも、此処までを送っていただいただけで十分ですからと、城下へ帰っていただくつもりでしたのに。」
 そうはいかなかったらしい顛末となってしまったらしく。も一度小さく笑った神子様、立ち話もなんですからと、大切なお客様お二人へ会釈を見せると、そのままお家の方へと案内した。ああまでの修羅場が、夢かそれとも、彼らの何世代も前の過去の人たちの間で起きた話ででもあったかのように遠く思われるほど、今現在の何と穏やかであることか。白く塗った柵に囲まれた小さなお家は、その前庭にコスモスの群生の緋色を揺らしており。いかにも平和で安穏としているかを、言葉なしにて象徴しているかのようでもあった。




 あの騒動から既に半年の歳月が経っている。王城キングダムから離れること、主城のあったあの北端の城塞都市から見て大陸の反対の端っこというほども遠い此処は、セナが生まれ育った…ということになっている、南部の小さな寒村であり、

 「表向きは、
  王家の祈りを司る神官導師としての修行が一通り済んだその途端、
  生家へ戻りたいと言い出した…って事になってたんだろうによ。」

 なので。遠い生家へと戻る旅路に間違いがあってはいけないからとの名目と、着いた先の寒村にても滞在を続け、セナの御身を護って差し上げなさいとの命を受けた一個師団がこの小さな村にやって来た格好になったという話は、夏の前辺りに届いた手紙で聞いていた蛭魔らであったりし、
「ええ。でも、そんなたいそうな護衛なんて要りませんと。気心が知れた方々ばかりの長閑な土地だし、進さんもおいでだから大丈夫ですと。」
 そうと言って、此処までをどうもありがとうございましたと帰ってもらおうとしたセナだったらしいのだが、
「なのに。帰ってくれなかった?」
 お膝に乗っけたワンコのカメちゃんのお背
せなを撫でつつ、桜庭が先をと紡いだその通りであったのか。香りの芳しいお茶をそれぞれへとお出ししつつ、小さな神子様は他愛なくもこくりと頷いた。
「というのも、皇太后様が、部隊の皆さんを選ぶに当たっては、農民出身の方々を中心にと構えられたらしいのです。」
「…おや。」
 此処が寒村なのは言わずと知れた過疎化のせい。土壌が痩せた訳でもなく、気候だって暖かで雨もほどほどに降る、それは恵まれた土地であり。北部のなかなか大変な耕作地しか知らなかった方々は、此処がどんな条件下の農地かに気づかれると、任務をおいても此処に残りたいとの申し出をするばかり。それで、セナも無理に追い返すことが出来なくなり、そのまま畑をおこしの種蒔きに勤しむことで始まった、新顔さんたちによる農作の1年目が、そろそろ収穫のときを迎えようとしている、という次第。
「頼もしい男衆が一杯やって来たということで、近隣の町や村の年頃の娘さんたちから見初め見初められてのお輿入れ…とかいうお話も、少なくはなくあるとかで。」
「めでたいこっちゃねぇか、そりゃ。」
 他人事だからということもあっての呑気さ、手放しで笑った蛭魔であり。そんな…どこか身勝手そうな強気の態度をとる、うら若きお師匠様を眺めやりつつも、セナの胸中は少々複雑だったりし。だって、

 “…元はといえば、蛭魔さんの気遣いから始まったようなものですのにね。”

 春まだ浅き頃合いに突然降って沸いたとんでもない事態に翻弄された皆様ではあったが、ああまでの大事件でありながら、その全容全貌を知る者は限られてもいて。この世界を破綻に導いたやも知れぬという危機から脱するだけの力とその制御を得たセナに、もう教えることもないしななんて蛭魔が言い出したのが、発端といや発端ではあった、お別れの春となってしまったのだが。
“あれは…桜庭さんを落ち着いて養生させたかったからですものね。”
 自分たちを先へと進ませるべく、随分な無理をした彼だったことが判ったのは、すべての決着が着いて、さあ地上へ戻ろうかと来た道を辿ることとなった復路でのこと。あの豪火噴き上がる空洞に居残った桜庭だったことへ、何とはなくの察しはしていたらしかった蛭魔は、
『…何やってんだかな。』
 自分の身へと宿らせてあった水龍の力、氷の嵐を召喚したことで、凶悪な炎龍と真っ向からの叩き合いになり。相手と相打ち同然の競り合いの末、気力で何とか押し伏せはしたものの、その身のあちこちを文字通り焦がしての、息も絶え絶えという悲惨な姿にまでなっていた相棒を、無表情のままに見下ろして。
『………無駄にでっかいままでいやがってよ。』
 それでなくとも体格に差があり、しかもこちらさんもまた疲労困憊の極致にあった彼だったので。きっと自分たちも初めて見た殊勝さで、進に桜庭を抱えて行ってほしいと頼んだ蛭魔であり。それから…彼らの無事な帰還と最悪の事態を避けられたという報告に、国王陛下や皇太后様、高見さんらが安堵した中。全ての顛末報告をまたもや葉柱へと一任した、金髪の司令官 兼 斬り込み隊長さんはというと。打って変わっての静かな様子で、傷ついた桜庭の傍らから一時も離れようとせずに何日かを過ごして。毎日の朝昼晩に少しずつしか唱えてやれぬ快癒の咒を授けつつ、何とか安定の兆しが見えて来た頃合いにやっと。自分も疲労を抱え込んでおり、倒れるすんでであったのを今頃思い出したかのように寝台へと倒れ込み。それからの三日三晩を眠り続けたというから。まま、極端な人だってのは判ってはいましたが、こういうところでまでそれを発揮しようとはと、関係者一同がついつい苦笑をこぼしてしまった一幕で。こうやって何事もなかったかのように、依然と同じ強気のお顔で笑っておいでのお二人だけれど。双方ともがお互いをいたわり合いながら、この半年を過ごされたんだろうなと、そのやさしい夏を思ってセナがしんみり浸っていれば、
「カメが此処にいるってことは、葉柱はまだ王城にいんのか?」
 唐突に別なお人のお話を振って来られたので、ハッと我に返ったセナくん、あはは…と少々引きつったようなお顔になった。
「あ、ええ…。そうみたいですよ。」
「何だ? その顔は。まさかまだ あいつ、青年団の顧問みたいなこと続けてやがるのか?」
 えっと〜っなどと 空とぼけて見せるセナだったものの、あの黒髪の封印の導師様がそんな立場になってしまわれた切っ掛けを作ってしまったの、元を辿ればセナにも微妙に関わり合いがなくはなく。あの騒動の、セナたちから見た初日。行方が知れなくなった進が敵陣営の一人として現れたのを追うように、無謀な次空跳躍をやらかしたセナをフォローして。失速して倒れぬよう、そうなったら受け止めようと追って来てくれた葉柱が、一旦飛び出した常態次界に居合わせたのが、ちょっぴり愚連隊っぽい雰囲気のする下町の若い衆たちの一団であり。
『いやまあ、そいつらとはその前にも、一旦顔を合わせていたんだが…。』
 むしろ、進との縁があると言った方が正確なのかもなんて、言葉を濁していた葉柱さんは、どういう相性なのだかそんなお兄さん方に妙に好かれており。心根を入れ替えたそのまま、城下の浄化活動やら何やらに勤しむようになった彼らが、何かというと城までご注進だとすっ飛んで来るのへいちいち馬鹿正直に応対してやっているうち、完全な顧問扱いにされてしまっての逗留続行中なのだとか。
「モン太く…じゃない、陛下も賑やかなのが楽しいと面白がっておいでで。皇太后様や神官長様と一緒になって“ずっといて下さいな”と引き留めにかかっているとかで。」
「それじゃあ、当分はアケメネイへ戻れそうにないねぇ。」
 どうしますか?と、前脚を掬い上げての立っちをさせた仔犬のカメちゃんへと尋ねた桜庭さんの綺麗なお鼻を、小さな舌でペロリとなめたワンコは、いやさ、聖鳥スノウハミングさんは。あの聖峰アケメネイへと至るための特別な“旅の扉”を通じさせる力を持っているので、そこへ帰るとなるとこの子も連れてゆかねばならなくなる。まま、なんとなれば…セナもアケメネイまでの往路を同行し、葉柱を送り届けたらカメちゃんをいただいてこっちへ戻って来ればいいことではあるけれど。それは頼もしくて実直な葉柱本人にしたっても、こうまで親しくなってしまっては…逢うのが難しいところへ返してしまうのがなんとなく寂しいからと。そんな想いを持つ者らが寄ってたかって、彼を故郷へ返さぬようにしているとも、解釈出来なかないような。滋味深く、味わい豊かな、それは上手に淹れられたミルクティに、ついつい頬笑みを深くした桜庭へ、
「それで、お二人はどうしてまたこんな辺境まで来られたのですか?」
 家具や調度もさして並ばぬ、質素な、だが、何とも暖かでほっとする居間。秋の陽が丁寧に磨かれているのだろう窓越し、柔らかく差し込んで。ドライフラワーにでもするのか、壁に吊るされた逆さまの小花の小さな花束を照らしている。今はゆったりと穏やかそうなお顔になって寛いでおいでだが、この美麗なお二方、どちらも腕の立つ魔導師様であるがゆえ。本気になったら…小屋ほどありそな暴れ牛や、凶悪な邪妖・魔物の類いまで、咒の一喝にて封印浄化してしまえる練達でもあり、
「何か、ご依頼でも?」
「まあな。此処のもうちょっと南へ下った岬に、生贄を出させる海龍が出るとかでよ。」
 説明しつつもあまり気が乗らないと言いたげな蛭魔だったのは、
「海龍、ですか?」
「ほれやっぱり。」
 どこかキョトンとしているセナの反応へ、苦笑を返し、
「魔物でも精霊でも、そんな物騒なもんが本当に暴れているんなら。此処まで近場のお前が気づかねぇはずないからな。」
「あ…。」
 今回のこのご訪問自体は、それを確認するのが主眼目ではなかったのであろうが、それでも、
「やっぱり“ガセネタ”みてぇだな。」
「というか、龍神様なんてものを引っ張り出した、誰か人間の起こした騒ぎってところだろうね。」
 桜庭もまたクスクスと可笑しそうに笑っている。何てことの起きていない普段からピリピリとその感応を尖らせているセナでもあるまいが、それでも。そこまでの騒ぎなら、こうまでご近所にいる彼にだって何かしらの気配くらいは届いている筈。それがないということは…という理屈で、本物の霊的存在が何かやらかしてる訳じゃあないという“確認”が取れたという次第。
「人を探知機扱いしないでくださいよう。」
 ぷっくりと頬を膨らますセナだったのものの、
「なに、ちゃんと感知の丈を磨いといて鈍らすなとも言いたかった訳でな。」
 そこはお師匠様も甘くはなくて、
「進と水入らずで、こんなのんびりしたとこで ほんやりほわほわ暮らしてやがってよ。気ィ抜いてっと、この手の感覚はあっと言う間に錆びついちまうからな。」
「う…。」
「まさかとは思うが万が一、負界からの刺客が襲い来ても、気配が拾えませんでしたでは洒落にならんぞ?」
 蛭魔の手厳しい言いようへは、
「うう…。」
 ふかふかな髪の間にワンコのようなお耳が立っていたならば、間違いなくへちょりと伏せてしまったに違いないほど。見るからに意気が萎んでしまったセナであり。
“いちいち真っ直ぐ受け止めちゃうのが、セナくんの可愛いくって放っておけないところなんだよねぇ。”
 こちとら、愛する誰かさんが相手でも、揚げ足取りなら任せてと結構強腰なことだってこなせる身だもんだから。対等真摯なやりとりが嫌いな妖一様ではないけれど、一歩間違えれば怒らせてもしまう、諸刃の剣になりかねず。
“こういう素直さが妖一みたいな“似非S様”には堪らないんだろうねぇ。”
 なんて。ちょいと危険で自主規制すれすれのお言いようを、その胸の裡
うちにて転がす、元・魔王様だったりするのだが。…似非S様ってなんですか? あ、いや、説明は要りません。うんうん、げほごほ…。(苦笑) 危ない発言はあくまでも胸中にだけ伏せといて、見た目はいかにも高貴ノーブルな佇まいにてほこほこと微笑っておいでの桜庭さんへ、助け舟をとすがりたかったか、

 「あ、そうだそうだ。一休くんはどうしてるんですか?」

 話題を変えようということか、セナ様、そんなことをば訊いてくる。あの最終局面にて、桜庭が庇った格好になったところの、炎獄の民らの中でも最年少だった男の子。あまり咒は得意ではなかったようだったけれど、闘気を鋭く放つという気功の術にて、セナたちを助けてくれた、これまた俊英の少年であり、
『…この子の赤い目も、炎眼なのですか?』
 彼らが、能力の差こそあれ、呪われた一族としての一くくりにされていたのは、闇の咒を使いこなしていたからであり。その証しのようなものでもあったのが、炎眼という真っ赤な虹彩の瞳。かれらの咒力は必ずしも親から子供へ引き継がれたという訳ではなく、正確なところを言えば…あの僧正とやらが人為的に、子が出来るたびに次代へ次代へと伝達させていったような節も窺えた。よって。移民先の国からの脱出時、混乱の中で生まれたというあの少年だけは、どこかしらその咒力の授かり方も違ったらしく。
『発揮出来ないだけで、その身の裡
うちには抱えたまんま…だってんなら。ちょっとヤバイかもな。』
 敢えて本人を前にして、そうという危険性を口にした蛭魔が取った処置は…実に単純な判定方法であり。
『ちびセナ、そいつを引っぱたいてみな。』
『えええっ!?』
 何てこと言い出すんですよう、いいからやんな、ヤです、お前俺の弟子のくせして師匠の言いつけが聞けんのか、ヤだったらヤです、じゃあ進にやらせるぞ、うう…、顔が半分くらい吹っ飛んでもしらねぇぞ。そんなこんなのやり取りの末に、おどおどしつつも小さな手のひらで。さして年の差もなかろう相手、だがだが、きっとセナの何倍も膂力もあって胆力も据わっていそうな、いかにも武道家という趣き満々な彼の頬を…おっかなびっくりの“ぺちり”と、蚊でもいましたかというほど柔らかな力にて叩いてみたところが。
『…何か感じたか?』
『はい?』
『だから。怒らないでねとか怒ったら怖いかなとか、お前、そんな想いばっか頭に巡らせて、目一杯ビクビクしながら触っただろうが。』
 うわ、そこまでお見通しでやらせたかと。その場にいた阿含や雲水、葉柱に進に桜庭、高見や皇太后様などなどが呆れ返ったのをよそに、
『そうやってビンビンに尖らせた格好になった感覚に、闇の気配は拾えたか?』
 さらりと言ってのけたお師匠様だったから。
『………あ。』
 何だかんだ言ったって、感受性豊かでしかも“光の公主様”でもあるセナの感覚が、一番鋭くてアテになるから。そこまでを教えぬままに持っていった蛭魔の手管も大したものなら、
『…何にも、感じませんでした。』
 自分の手のひらを見つめていたセナが、ふわぁっとお顔をほころばせ、
『やった、やっぱり大丈夫なんだっ。』
 それは嬉しそうにぎゅぎゅうっと。あれほど怖がって身構えてた相手の首っ玉へ、今度は全くの警戒なしに抱きついてる呆気なさ。そんな判定にて“問題なし”とされた赤い目の少年は、それでも一応の用心とそれから、その素直廉直な心意気をもっともっと延ばしましょうよということで、泥門の庵房へと迎えられての只今鋭意修行中だとか。そんな彼の近況を聞かれ、
「頑張ってるよ〜。」
 桜庭が楽しそうに応じて差し上げ、
「何たってどうかしたらば僕とお友達かもしれないなんて、ウチの師匠が妙なお墨付きを出しちゃったからねぇ。」
「はい?」
 セナくんにも話してあったのかどうなのか。この、いかにも貴公子然とした亜麻色の髪の美丈夫さん。実は、かつて魔神と呼ばれた存在、象徴様クラスの精霊の成れの果てであり。そんな彼の封印を解いてしまった蛭魔さんに、彼の側からも関心を持ったらしかったのでと気づいた、あの庵房を預かりし大お師匠様。人にちょっかい出すよな悪戯を封じましょうかねと、人間の殻器へ封印されなさいと彼に説いた…という一説は、今回のお話の中でも持ち出しましたが、
“どうやら彼の赤い目は、闇の咒云々じゃあなくて、魔神が齎した祝福の徽印らしいそうだし。”
 そう、桜庭がそうだったような、この陽界に根を張った陰体。精霊とか魔神とか呼ばれているものから気に入られ、それでと与えられた何かしらであったらしくって。だから、彼だけあの僧正とやらも扱いかねていたんでしょうねと、大人たちの間では合点もいっており。
「今じゃあ、俺らに追いつけ追い越せって勢いで。依頼をこなせる導師目指しての習練中だ。」
 お前も見習って庵房まで来るか? なんて。どこまで本気でどこから冗談なんだかなお言いようをする蛭魔へ、
「………え〜っと。」
 習練が大事なのは判りますけど、あのその、ボクはそこそこの力さえあれば、今のところはつつがなく暮らしてゆけてますしその…などと。丁寧ではあったが遠回りなお断りを告げている神子様へ、
「その及び腰は何とかしろ。」
 端
はなから靡なびくとは思ってなかったが、臆病な慇懃無礼ってのが、俺は苛ついて嫌いなんだよと。やっぱり歯に衣着せない物言いをするお師匠様だったりし。
“半分くらいは本気で誘ったくせに。”
 おや、桜庭さん。読心術ですか? お膝のカメちゃんに“しょうがない人たちですねぇ”なんて囁いて、睨まれていては世話はなく。
(笑)
「ま、あいつは問題ないんだ。素地も素直で真っ直ぐな奴だからよ。」
 お茶受けにと出されたクッキーの、真ん中に埋められたアーモンドだけをちょちょいと器用にも穿り出して、カリポリ食べてた金髪のお師匠様。あああ気がつきませんでと、クッキーの台座がついてない丸ごとアーモンドを入れた缶を、棚から降ろしてお出しするセナへ、

 「あの後、行方が知れないままな兄貴分たちの方が、よほど問題だっつうの。」

 ちょーっと目ぇ離した隙に逃げやがってと言わんばかり、どこか不機嫌そうに眉を寄せて見せる蛭魔ではあったが、
“心配してんだよね、妖一なりに。”
 不愉快な奴のことであれば話題にさえ上らせないし、本当に心から腹が立ってる相手なら、問答無用で草の根分けてでもという勢いで探しに出ている。勿論、蹴っ飛ばすのが目的で。自分が落ち着きたいから探すという行動までは伴われていないまま、だけれど話題にするなんてのは、この彼に限っては…勝手をさせてはおりますが心配してますという、微妙複雑な心情の現れに相違なく。

 「え? 阿含さんたちでしたら、先月この村においででしたが。」
 「ふ〜ん………………って、え?」

 うっかり聞き流すところだった。それほどに、さらりと軽やかに口にされた。しかも、このセナに。
「お前…。」
「はい?」
 お耳があったらひくくと屈託なくはためかせたところかもな、なんて。桜庭にそんな、いかにも傍観者っぽい感慨を抱かせたほど、何てことない事柄みたいに把握しているらしきセナ様へ、
「なんでそんな、無造作に口に出来んだよ、あ? あいつら、一休を庵房に置いてけぼって、行き先誰にも告げないまんまに出て行きやがったんだぞ? あのチビがどんだけ傷心してたか、判るか…ってのはともかくだが。」
 おお、綺麗な拳を口元に当てて、いかにも言い淀んだところを見ると。蛭魔さん、失速したらしいです。俗に言う“オーバーラン”でしょうか?
(笑)
“縁起でもないからやめて下さいって、その譬え。”
 あ、すみませんでした。でも、このお人が実は優しいのだというのがそれは判りやすくも露になったようで。セナもそして桜庭も、ついのこととてワクワクッと、飛びっきりの笑顔になってしまい、

 「…何だ、その顔はよっっ!!!」

 ささやかなものながら、静電気の雷がバチバチッと短く、二人の手元へ降ったのは…はっきり言って八つ当たりでしょうか、蛭魔さん。
「痛った〜い。」
 ふみみと泣きそうな声を出したセナではあったが、ちょっぴり上目遣いになってこちらを睨んでいるお師匠様に気がつくと。大慌てで居住まいを正し、それからあらためてと語ったのが、
「阿含さんと雲水さんは、王城の城下で身を寄せていたサーカス団に、あらためて同行なさったらしくって。」
 この村へはその一座の巡業で来たのだとか。他の炎獄の民の皆さんも同行しており、お二人は一休くんを泥門まで送ってから戻ると前以て言い置いてかれたとか。そういう話をしてくれましたと、あっけらかんと語るセナへ、
「ほほぉ…。」
「妖一、怒るなってば。」
 ついつい口元が引きつる相方を、桜庭が苦笑交じりに宥めて宥めて。
(笑) 根無し草の生活はそもそもやっていたことだから、さして不都合は無いとのことで、
「向こう様がたこそ、ボクや進さんが何でこんなところに居るんだって、ビックリされてたほどでした。」
 にこりと笑ったセナくん。とはいえ、
「黙って離れて、それで一休くんが傷心してたというのは、ボクも初めて知りました。」
 彼らには彼らの考えがあってのことなのだろうけれど。厳しい方々なのだなとあらためて思い知ったし、

 「言ってあげなきゃ判りませんのにね。」

 たまには様子を見に来てやるとか、それよか、お前がとっとと修行を終えて追って来いとか。
「そんな一言があれば、傷心なんてしないですぐにも顔を上げられたのでしょうに。」
 しみじみとした声になったセナへ、
「そういうもんかね。」
 さすがにそこのところはピンと来ないか、強気なお師匠様が理解出来ないと言いたげな低い声を返したけれど、
「嘘だっていいんですよ。それとか、キツイ言いようをされたとしても。そりゃあ、どっちも傷つくことでしょうが、それにしたところで…こっちを向いて言ってくれたなら、気持ちは渡されたのだと踏ん切りはつくじゃないですか。」
 お膝の上、小さめのマグカップを両手で包んで。セナは背中を丸めがちにすると、ぽつりと呟いた。

  「何にも言われないままの別離というのは、
   問答無用で切り離されたみたいで…辛いです。」

 自分がそうだったと、言いたいセナなのかもと思うと、
「………。」
 さしもの蛭魔でも口ごもってしまう。まま、あの騒動の渦中の進はというと“攫われた身”だったのだし、意識が戻れば戻ったで、突き放した所作でセナをひどく落ち込ませたが、それにしたってセナを思ってのこと。かてて加えて、寡黙で口下手な彼が、あんな切羽詰まってた瞬間にどんな言いようを持って来れたものなやら。







            ◇



 陽が落ちる前に隣村まで進みたいからと、魔導師様お二人は、お茶だけ飲んで発ってしまわれ、
『帰りに寄るさ。』
 海龍とやらの正体見極めた話を土産になと、からから笑って去ってゆかれ。少し離れたところの畑を世話をして夕暮れとともに戻って来た進とは、逢えぬままのすれ違いとなってしまった。鷄の香草焼きと茸のホットポーに、ガーリックバターを染ませてカリッと炙ったパンという夕食をとりながら、そんな来訪者たちのお話を進さんへと伝えたところ、
「寄ると言っていたのなら。」
「ええ。必ず来て下さるとは思うのですが。」
 それでも、懐かしいお顔ですもの、進さんもお逢いしたかったでしょう? 積もるお話だって一杯あったでしょうにと、いかにも残念そうに眉を下げるセナへ、
「…。」
 進はゆっくりとかぶりを振って見せて。え?と。意外そうなお顔をしたセナへ、
「揶揄されるか、責められるか。」
 微笑いもしないまま、ぽそりと一言。口の達者な人たちだから、良いように肴にされるのがオチだろうさと言いたいらしく。だがまあ、また寄ると言ったのだろうと口にしたのだから、彼らに逢うこと自体が困りものだという訳ではないらしい………と。端的な物言いをする割に奥の深い進の、その思うところをそこまで読めるセナくんでも、黙って去った格好になったあの別離は辛かったわけで。
「………。」
 ふっと、もの思うような間合いが出来たことに気づいてか。かっちりとしたシャツの襟の上、顎を引き上げてまで顔を上げた進からの視線へ、
「あ、いえ。何でも…。」
 ありませんと言いかけた、そんなセナが腰掛けている、ベンチソファーのお隣りまで。
「…。」
 不意に立ち上がるとそのまま。案じるような視線を合わせたままに、テーブルの縁を回って歩みを運んでの、移動をして来る進さんであり。
「あ…えと。/////////
 だが、間近になると、背丈に差がある二人だから。視線は離れて、その代わり。そおと掻い込まれた懐ろの中。それは精悍な匂いとそれから、大好きな、でもドキドキする温みとに包まれる。頼もしくも充実した胸元の質感に頬をくっつければ、ドキドキはもっと加速して。でも、

 “身の置きどころに困ってしまうドキドキじゃあなくなったのvv ////////

 そうと思えるようになったのが、この半年の間にこの身に馴染んだ、進歩と言えば進歩かも。大好きが過ぎての余計な緊張、舞い上がってしまうような興奮までは抱かなくなって久しかったけれど、その代わり、
「〜〜〜♪」
 ああどうしよう。このままいつまでもぎゅうってしていてほしいななんて、赤ちゃんみたいなことを思うようになっていると。そんな自分がちょっぴり困るセナ様だったりするそうで。
“………だって。”
 あの、とんでもない修羅場の中。真剣真摯な緊迫感に包まれて。今にも飛び立たんとしていた禍々しい闇の咒力を、一掃しなくちゃ浄化しなくちゃという想いの詰まった光の矢を進さんへと託して射てもらったあの時みたいな。とんでもないにも程があるよな瞬間のドキドキなんかよりも、ずっとずっと幸せなこのドキドキをこそ。大事にしたいなと思ってやまない。あんな怖い目に遭っても、あんな辛い目に遭っても、ただただセナの許へ、セナを安心させるためだけに帰って来ようと頑張って下さった進さん。
「うっと…。////////
 ひょこっとお顔を上げれば、どうしましたか?って柔らかい視線で窺ってくれる。頼もしくってお強くて、その上に、包容力があって洞察力もあって。自分には勿体ないほどの騎士様が、こうして寄り添っていて下さるのが、嬉しくて仕方がないセナであり。

 “そんなご自分こそ、どれほど頑張られたことか。”

 勿体ないのはこちらですよと。あんな恐ろしい修羅場まで、ご自身の足で…こんな至らぬ輩をわざわざ追って来られた主上へと。白い騎士殿、どんなに忠誠を敬愛を捧げても足りぬと歯咬みすること、しきりだそうで。そちらさんがそう来るならば、

  「…vv /////////

 今だけは、カメちゃんが変化
へんげする仔猫や仔犬よりも小さな小さな存在で居たい、進さんの懐ろやいっそのことポケットにだって入りたい、そんな可愛らしいこと思ってたりする、光の公主様だったりするのである。………どっちもどっちな幸せの煩悶。相思相愛というんですよ、それ。



   世はすべて、事も無し…。






  〜Fine〜

    05.5.03.〜05.8.08.(第1章)
    05.8.22.〜06.3.21.(第2章)
    06.3.26.〜07.4.19.(第3章)

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  *やった〜、終わった〜vv
   つか、こんな終わり方でいいんでしょうか?(どきどきどき…)
   プロットのメモの最後のを処分したのが、一番に気分爽快でした。
   いつ、此処まで辿り着けるんだろかと、
   手にしていながら遠いゴールでございましたから。

  *これの前の章の後、
   皆様から“忘れてませんか?”と一番心配されていたのは、
   別な場所にて重傷負ってた桜庭くんでございました。
   忘れてませんよ〜、大丈夫ですよ〜vv(ドキドキvv)
   あと、赤い目のままな一休くんはどうなるのでしょうか、とか。
   彼自身に“鬼っ子だと言われてる”と語らせたの、
   あんまり伏線らしくなかったですかね。(う〜ん)

  *思えば、この人も設定が穴だらけ、もとえ“謎”だらけな進さんに、
   重点的にスポットライトを当てた話を書きたいって
   そう思ったのが始まりだったのに。
   よもや、その進さんが一向に出て来ない話になろうとは。
   つくづくと感じました、人生 山折り谷折り…。(おいおい)

  *ああなんか、
   書き上げたら言いたいことが、あったような無かったような。
   今はまだ、制作途中の感覚が抜けてませんで、
   後でごちゃごちゃ言うかもですが、今は…とりあえず。
   期間も長さも、登場人物の数も破格、
   よくぞ途中で投げ出さなかった、自分。
   お付き合い下さった皆様には、本当にお疲れさまと言いたいです。
   そして、たった今から、これの第一章からを読もうとしているあなた。
   …………先は長いぞ〜〜〜。(こらこら)

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